「新潟県中越沖地震」(現地を見て気付いた点)
建築士として、現地を見て気付いた点を以下にまとめてみました。

1)地震の規模と犠牲者の数
地震発生が、午前10時13分であったため、殆ど火災が発生せず、柏崎市住民36,000世帯のうち亡くなった方は10人ということで、今までの阪神淡路の大震災(神戸市の人口152万人、死者4319人、震度7、M=7.3)と比べて、(柏崎市人口94,644人、死者10人、震度6強、M=6.8)比較にならない少なさでした。地震エネルギーのM値は1増えるとエネルギーは32倍ですから、0.5増えると8倍か16倍か神戸の方が大きいということです。
(新聞では11人とありますが、県の資料では柏崎市10名、刈羽村1名、計11名)

2)建物の被害状況
神戸の方は全壊+半壊+全焼+半焼=159,954棟、これに対し、柏崎市は全壊+半壊=3,142棟、全壊+半壊(火災を含む)=被災住宅数の比較をしてみると、(1世帯=1棟=2.6人とした)
 柏崎市  3142棟÷(  94644/2.6人)=0.086= 8.6%(被災建物/全棟)(火災被害はデータなし)
 神戸市159954棟÷(1518982/2.6人)=0.276=27.6%(    〃     )(火災被害を含む)
   (資料:柏崎市は新潟県災害対策本部8月9日現在。 神戸は市災害対策本部、平成7年8月31日現在)
亡くなった方の比率を見ると、
 柏崎市:94644÷10=9464→(人口9464人に1人亡くなった)神戸の3.7%。
 神戸市:1518982÷4319=352→(人口 352人に1人亡くなった)
建物の被災率は、柏崎の8.6%に対し、神戸は27.6%で神戸の31%に過ぎない。
これは、柏崎は雪国で、瓦屋根の家が多く、神戸に比べ、柱梁の構造はずっと丈夫に出来ていると言われているが、丈夫に出来ているのは柱と梁だけで、鉛直荷重に対しては十分であるが、地震の水平力に対して必要な筋交いを入れているかが問題で、地震については、神戸も新潟も同じ条件と考えていい。
しかし、金融公庫融資住宅の木造建築は、筋交いについての検討が十分なされているので安心していいでしょう。
ではなぜ、「亡くなった方が神戸よりずっと少ないか」について考えてみると、第一に地震の規模が柏崎の震度は神戸の何分の一か、小さかったのが原因だと思う。であるから揺れている最中に逃げ出せる時間があったのだと思います。 神戸の場合は、地震が来て、10秒以内に、天井が落ちてきて、殆どが圧死か、火災で亡くなったと聞いています。
3)柏崎市内の状況
私が柏崎の市街地に入ったのは、9日後の7月25日でした。柏崎ICが閉鎖されていたので上越市から高速で米山IC→8号線経由で入りました。(高速道路は無料)
TVでひどい映像ばかり見てきたので、一面、総倒れで、道路はごみの山ばかりでバイクでも走れるスペースはあるのか心配でしたが、道路はごみ一つなく解体材の搬出準備が整ったという情況でした。
8号線から市街へ左折、国道352号の住宅街を800mほど入り右折、路地を150mで目的地、西本町のお寺、聞光寺(もんこうじ)に到着しました。
この間、車以外の人気は殆どなく、夕方でもゴーストタウンのようでしたが、全壊の家屋は5〜6軒くらいでした。とてもそんな大地震の跡とは思えませんでしたが、帰って資料を調べてやっと被害の全貌を知ることができました。
4)聞光寺本堂について
写真に付いての検討ですが、お寺の本堂は、無残に北側に6m(柱の高さ)ほど、屋根がそのまま滑るように移動していました。幸い、誰も中には居なかったので、怪我人は一人も出ませんでした。
住職らの話によると、全ての柱が土台から抜けていたそうです。外壁は古い土蔵でしたが、無残にも総くずれでした。屋根は木造の小屋組みで、三角に固めているので形は崩れていませんでした。
5)鐘突堂について
鐘突堂は南側に倒れていました。柱は土台にほぞと、込み栓で固定されていましたが、柱脚のほぞの手前で全部折れていました。柱がピン状態になって屋根や釣鐘の重さで、あっけなく倒れていました。
6)本堂の再建計画に向けて
500mほど離れた東本町に鉄筋コンクリート造1階が駐車場のお寺があり、屋根の瓦が2〜30枚位、割れていましたが、柱、梁には全くひび割れはありませんでした。 聞光寺の再建計画の構造では、柱、壁、梁は鉄筋コンクリートとし、屋根は鉄骨造とし、現状の瓦を再利用し、基礎は液状化の影響をなくすためにボーリング調査の上、杭打ち方式とすべきだと提案するつもりです。
7)商店街(間口の広さ)
写真(その12)ですが、TVでよく放映された東本町のアーケードのある古い商店街です。市の職員が貼った「危険」の紙が沢山見えます。一見被害がないような建物でも「隣接建物の倒れこみの危険があります」と言うことで、古い隣の店舗が倒れ掛かっているので、新しい店舗でも危険で住めなくなっている、こんな将棋倒しのような被害が幾つも見られました。商店の場合、間口を広くとるので、左右の柱を太くして大梁との接合部を十分剛にする工夫が必要だと感じました。
8)幼稚園の園舎
写真(その1)右側にちょっと写っていますが、1年前から境内にある幼稚園の立て替え工事があり、この4月から新しい鉄骨平屋の園舎で、業務を始めましたが、以前は木造で、シロアリが出たり、床下が、腐って、床が落ちたり床を切り開いて調査をしたのですが、地盤が砂地で昔から水が沸く場所があり、常時、湧き水が排水路に流れていました。
今回の地震で液状化する地盤だったんだと言うことが分かりましたが、基礎を大きくしたため、この幼稚園は、今回は何も被害がありませんでした。杭は打っていません。元の水みちは断層の末端ではなかったかと思います。
9)揺れがきた瞬間
地震が来た時、どうしました?とこの寺のお婆ちゃんに聞いてみました。「植木屋に10時のお茶を出して、食堂に戻って一息入れたときに椅子の下からズキンと突き上げられ、後の横揺れで、倒れそうな食器棚を一生懸命に抑えたそうです。横揺れは南北方向だったので、2mもある大きな食器戸棚がついに倒れてしまい、後で、その始末には苦労したそうです。
ところが、直ぐそばに、東西方向に向いた同じ大きさの食器戸棚は、中の食器は崩れてはいましたが、戸棚は倒れなかったそうです。直ぐ後、幼稚園に居た園長が「本堂が倒れたよー」と飛び込んできたけど、本堂が倒れた音は全く聞えなかったということでした。
今回もタンスが倒れてきて亡くなったという人がいました。
自分のタンスに殺されては情けないですね。家具の転倒防止策は絶対に必要だと思いました。大きいタンスと天井間に「T字形」の耐震器具を取り付けた家では効果があったという体験者の話を聞きました。
10)木造建築の耐震強度
今回の地震で、現地を訪れた京都大防災研究所の教授の話によると、
「古い木造建築ばかりピンポイントで倒れている。3年前の新潟県中越地震で被害が集中した地域とよく似ている。」(震源地:当時の山古志村は柏崎市の30km東、今回の中越沖地震の震源地は柏崎市の20km北)
「倒壊した建物は瓦屋根の住宅や土蔵、増改築された跡のある建物、空き家が多かった。」と言っている。
新潟県内の木造の一戸建て住宅が占める割合は全国平均の57%より高い80%と言われ、その中の半数は、震度6強で安全が確保されていない1981年以前の建物とされている。
11)地震は発生しないはずだった・・・
今回、東京電力刈羽原発の偉い方が、頭を下げていたTV場面で、「こんなに大きな地震が起きるとは知らなかった」と言っていましたが、今でも地元の人達は、「東電は原発工事の初めから、柏崎には大きな地震は絶対に来ないから大丈夫」と言い続けてきたし、住民もそれを信じて耐震工事など全く関心がなくなって、こんな結果になったんだ。」と言う人は今でも多いそうです。
12)地震発生に備えて
中野区から出ているマニュアル「地震!から身を守るために・災害要援護者と家族のための防災マニュアル」を手元に置き、何度も読み、日頃の心構えを養いましょう。

 報告 江間小四郎氏(若宮二丁目在住)
 
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