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福蔵院と節分会
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福蔵院住職 星野英紀
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福蔵院の節分会(せつぶんえ)の発祥は戦後まもなくである。敗戦でどん底に突き落とされた日本人たちなかんずく鷺宮地域の人々が元気になるような祭りを始めようという趣旨で、先代住職が開催を提唱したと聞いている。私は昭和18年生まれであるから4,5歳の時のことである。
その後いろいろと変遷があった。かつて、この法会の中心はあくまでも「鬼は外、福は内」と言って豆をまく年男年女であった。年男年女の大きな楽しみの一つは、法要と豆まきが終了した後の祝宴であった。年男年女といっても、その大多数が男性であった。暗くなるまで、お好きな方々は杯を酌み交わしたものである。
現在の節分の主役は今も年男年女であることは変わらないが、同時に、いまひとつの主役はそとで豆を拾う人たちである。それを楽しみにしている人たちがたくさんいる。「今年はこれだけ拾えた」といって喜ぶ人たちの声をしばしば聞く。福蔵院の節分会が土曜日に開催に変更したのも、拾い手も重視ということからである。福を皆で共有するということになる。
福蔵院の節分会のいま一つの特徴は、鷺宮囃子保存会のお囃子奉納である。うきうきするような、あの太鼓と笛の音は当院の節分会に欠かせない。
節分そのものは日本の伝統行事である。かつては各家庭で行われていたものだが、いまではそれも少なくなった。そのため節分会としてお寺で行い、年男年女あるいは拾い手として多数福蔵院に参集する。囃子を背景に鬼が出て大黒様が踊る。豆がまかれる瞬間の歓声は「ぞくぞくっと」する感じさえする。
この盛り上がりのなかに、日本人と地域伝統文化の繋がりが継承されていることをはっきりと感ずるのは私だけであろうか。今後ともこの伝統文化を継承し発展させていくために、皆様のご理解とお力添えを是非お願いしたいと願うばかりである。 |
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