福蔵院(白鷺山福蔵院正幡寺・真言宗豊山派)の節分会は、先代住職の星野俊英僧正が、終戦直後の昭和20年代半ば、人々の気持ちが沈み荒んでいた時代に、再び鷺宮のまちに活気あふれるコミュニティーがうまれるようにと願って、まちの誰もが楽しく参加できる行事として始めたものです。
現在も、伝統的な文化行事として毎年開催されていますが、多くの人が参加できるようにとの配慮から、節分当日にこだわらず2月3日直前の土曜日に行われます。
今年は 2月1日(土)に開催されました。
福蔵院と節分会
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穏やかな日和のなか、梅の香り漂う境内です。
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鷺宮囃子の演奏会
豆まきの前に、例年特設の桟敷を使って鷺宮囃子保存会の方々によるお囃子が演奏されます。
午後1時からお囃子の演奏と舞が披露され、大黒様による豆まきがありました。
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お囃子演奏 |
舞1 |
舞2
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舞3
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豆まき |
獅子舞1
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獅子舞2
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鷺宮の郷土芸能であるこの「鷺宮囃子」は、1982年に中野区の登録無形民俗文化財の指定を受けました。江戸時代後期に始められたと伝えられており、通常、笛・太鼓(大胴)・小太鼓(真打と流打)・鉦の5人で演奏されます。
「鷺宮囃子保存会」は福蔵院内に置かれておりご住職はその会長を務められています。
福蔵院の豆まき会での演奏は、地域の方々へお囃子を披露する貴重な機会となっています。
法要に先立ちご住職より挨拶がありました。
「福蔵院豆まきは、60年以上の歴史があります。地域の子どもたちを中心に考えてあえて有名人を呼ばずにこれまできました。またここで披露される鷺宮囃子を鷺宮の伝統芸能としてこれからも盛り上げていきたいと考えています。
お願いごとというのは「達成するために頑張るぞ」という生きる目標であるともいえます。お札にかかれた皆様のお願いごとが叶えられますよう、護摩を焚いて火の神様であるお不動様に祈ります。」
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住職挨拶
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午後2時すぎから、本堂内にて節分の法要が行われました。
とびの方たちを先頭に、裃(かみしも)をつけた檀家総代と、紫の法衣のご住職、他に黄色緑色の法衣をまとった僧侶5人が入場し、厳かに法要が始まりました。
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僧侶らは、声高らかに美しい声明(しょうみょう)を唱え祈ります。
本堂内では、関係者および事前に申し込まれた方々が法要に参列しました。中央には護摩壇がすえられ、ご住職が着座して加持祈祷法要を行います。 そこでは密教の象徴でもある護摩(ごま)供が修せられました。火は煩悩を焼き尽くし、煙は天空に届き人々の願いごとをかなえてくれるのだそうです。火には、護摩木と樒(しきみ)という香りの高い葉がくべられます。
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法要の後、午後2時30分すぎに本堂前に設けられた桟敷に赤鬼青鬼が福蔵院のもてなしを楽しみにやってきました。
住職にすすめられたひとつのさかずきを取り合いながら仲良く酒盛りが始まりますが、その後、裃姿の人々に豆をまかれて退散します。鬼にも酒をふるまうところが、鷺宮地域のおおらかさでしょうか。
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法要に参加した方々が本堂内に用意された枡をひとつずつ受け取り豆をまきます。
福蔵院では、豆だけでなく子どもが大好きないろいろなお菓子もいっしょにまかれます。
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枡
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例年同様、多くの方々に福がわたるようにと、全体を3グループにわけて入れ替えをしながら豆がまかれました。
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豆まきの後、本堂内でも獅子舞・ニンバ・大黒天の舞が披露されました。
大黒様は五穀豊穣の神として信仰されています。
大黒様が槌(つち)を振ると、中から10円玉が飛び出します。10円玉には「福」の字のシールが貼られていました。
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鷺宮囃子と舞1
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鷺宮囃子と舞2
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お獅子は「祝 招福豆まき会」の巻物を開き、舞の奉納は終わりました。
参列者は最後にお杯をいただき、豆などの入ったお土産とお札をいただいてお開きとなりました。
事故がないよう地元消防団も待機です。
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消防団
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福蔵院の豆まきは有名人の招待はなく地域の皆様にひらかれたものです。事前に申し込みの上、一般の方も本堂の法要に参加しご祈願札をいただくことができます。
(ただし、冥加料が必要となります。)
詳細は福蔵院まで直接お問い合わせください。(連絡先 03−3338−0183)
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福蔵院
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